-中国語あれこれ
--鄭老師の漫談--
(84) 中国語 読解レッスン
古人の知恵に学ぶ
【中国のことわざ・格言・金言 (4)】

《 森羅万象・世事諸相の意味するものは? 》
18财聚人散;人聚财散

→財集まって人は散り、人集まって財は散る。

一个集体,要是财富集中在个人手里,人心就会涣散;为了使人心凝聚,就得把财富分散给大家。
→集団において、もし冨が個人に独占されたら、組織のたがは緩む。たがを締めるには富をみなに分け与えなければならない。

【コメント】
この格言は多面的で、立場の違いによっていろいろな解釈が成り立つ。集団レベルの話を個人レベルにシフトして考えてみよう。個人ないしその家族がひたすら商売に力を入れ、蓄財に励めば、財産は増えてゆくだろう。しかし、富の蓄積が進めば進むほど、その反動として、同業との利害衝突や世間の妬みなどから、対人関係や社会関係がぎくしゃくして、不評を買い易く、周りの友人も減ってしまいがちだ。これが「
財聚人散」。

それとは逆に、友人関係を大事にし、付き合いの好い人は、友人が増えるだろうが、増えるにしたがって会合・会食も増え、遊興飲食などの交際費や慶弔費がかさむ。また中国の社会だと、人間関係が濃密なので、慈善事業への寄付やカネに困った友人を助ける救済支出なども加わって、どうしても財産は減ってゆくものだ、これがつまり「
人聚財散」だ、というふうに解釈できる。

冨と人間集団の関係は、果たして二律背反的な「
財聚人散;人聚財散」のパターンのみであろうか?話を現代マネー社会に当てはめると、そうとも言い切れない。なぜならば、新しいパターンとして、“财聚人聚;人聚财聚”が成り立つと考えられるからだ。例えば、収益を上げている会社が従業員の福利厚生の増進に注力し、また給与待遇面で能力主義を重視し、業績に優れた社員や功労者を優遇する方針を実行すれば、有能な人材が集まる。さらに集めた有能な人材の働きによって、会社の収益力も一層高まる、という好循環が生まれる。つまり、“财聚以财聚人;人聚以人聚财(財集まれば、財を以って人を集める;人集まれば、人を以って財を集める)”というわけである。

蓄財が単に個人の欲望実現のためのみに行われたら、その人は守銭奴とみなされて、周りの人から軽蔑され、結局社会から孤立してしまう。これとは逆なのが、得た富を仕事仲間や従業員に利益配分したり、社会の慈善事業などに寄付したりする生き方だ。個人の才覚や努力はむろん大事だが、そもそも富の源泉は社会の中にあり、社会を土台にして富は生み出されている。だから得た富の一定程度を社会へ還元することを忘れずに実行するべきだ。そうすれば、“
财聚以财聚人;人聚以人聚财”の好循環が実現できるに違いない。政府レベルの話では、民生重視と適切な富の再分配、つまり所得再分配が施政方針の重要な柱となるべきだと思います。

19 远水不救近火 / 远水不解近渴 / 远亲不如近邻

远处的水救不了眼前的火灾 / 远处的水解不了眼前的渴 / 急需帮助的时候,远方的亲戚比不上好邻居

→遠くの水は近場の火事を消し止められない。/ 遠くの水は目前の渇きを癒せない。/ 急な助けが必要な時、好い隣り近所は遠くの親戚に勝る。


★語注:
近:历时短;距今不远;空间的距离小 解渴:消除口渴的感觉 救火:扑灭火灾
不如:比不上

【コメント】
海辺の海水を大量に使えば、火事は容易に消し止められるけれども、火事場は海辺から遠く離れていて、どうしようもない。」/「喉が渇いてから、遠く離れた隣村の井戸水を飲みに行くようなもの――喉の渇きを癒やしたくても間に合わない。」/それぞれ
远水难救近火”“远水难解近渴ともいう。/「隣り近所の人と普段から仲良く付き合えば、急場凌ぎの役に立つ。急な助けが必要な時、仲良しの隣り近所は遠くの親戚よりも頼れるものだ。
*出典:中国春秋戦国時代の故事

20不管黑猫白猫,捉到老鼠,就是好猫

→黒猫でも白猫でもネズミをとる猫が良い猫だ。

★語注:
不管……,(只要)……,就……;…であるに拘わらず、ただ…しさえすれば……である

不管是黑猫还是白猫,只要捉到老鼠,它就是好猫
→黒猫なのか、それとも白猫なのか、それはどちらでも構わない、ただネズミさえ捕まえれば、その猫は良い猫なのです。


【コメント】
「白ネコ黒ネコ」論争の意味合い
これは鄧小平語録として日本でもよく知られたことわざです。ネズミの害に悩む生産者や農業社会にとっては当たり前のことでも、ネズミの害をよく知らない人となると、とかく猫の毛色や外観、動作などに目を奪われがちだ。白猫と黒猫とでは、確かに外観やイメージは大きく異なる。中国人の伝統的な色彩感覚から言えば、片や白のイメージはマイナスのものが多く、例えば、死亡→“
白事”、愚鈍=“白痴”、失敗→“白旗“白字”“白卷”、無益→“白忙”“白干”、陰険→“白色恐怖”、軽蔑→“白眼”などなどがある。片や黒のイメージも、“黑幕”、“黑手”、“黑名单”、“黑市”、“黑社会”、“黑店”、“电脑黑客”、“黑话”などなど、いずれも邪悪や犯罪を想像してしまう。

“白猫”と“黑猫”を比べた場合、果たしてどっちが悪いかなどと議論しようものなら、まさに甲論乙駁、まったく収拾がつかない激論、しかし無益な論争になってしまうでしょう。時として、政治路線や政策をめぐるイデオロギー論争も過熱する余り、現実離れした無意味な空論に陥る弊害があるものだが、「白猫でも黒猫でも……」という言い回しには、空論を戒める一種の警句の響きが感じられる。

人民公社の誕生と衰退
前人未踏の社会主義社会を建設してゆく中で、さまざまな難問に遭遇しながら、それらを克服しつつ前進してきた中国。その最大の問題の一つが1958年に生まれた人民公社だった。共産主義の平等理念にこだわった農民共同経営・共同労働の集団農業生産方式を謳う人民公社は、いわば農業協同組合と地方末端行政機関を合体させた新型組織だが、その運営が業績不振によって次第に行き詰まってしまう。そうした中で、打開策として、地方から「農家生産請負制」が登場し、農業生産高の大幅アップを実現して、全国的な普及の引き金となった。しかし、国民の間では、この「農家生産請負制」のやり方は資本主義への逆戻りだと反対する声も根強く、ついに共産党内でイデオロギー論争に発展した。

過渡期中国の堅実な農業政策とは?
この種の議論に対して、リーダーの鄧小平の態度は次のようなものだった。「この過渡期において、どの農業生産方式を採用したらベストなのか、その判断基準はこれまでの不振な農業生産の回復と発展を図るうえで、どの地域において、どの方式ならば、比較的容易にかつ早期に実施できるのか、これによって決めればよい。そのうえで、農民大衆が進んで採用したい方式を採用すればよい。……すべてを一律にするのではなく、それぞれの地域の実態に即した正しい方法を求めるべきだ…」と。要するに農業生産の不振によって国民は食糧、なにより日々の食事に困っている。これが当面の主要な矛盾だ。これを解決できる生産方式であるならば、「農家生産請負制」でも、「戸別農家の副業奨励制度」でも、「農民自家保有地の拡大制度」でも実用・実利を重視する観点に立って相応しいと思う方式を採用し実践したらよい、と鄧小平の答えは極めて明快にして堅実だ。

ネズミを捕らない猫は良い猫か?
鄧小平はイデオロギーにこだわらず、まず足元の農業生産の主人公である農民の真意と生産意欲に着目している点も印象的だ。この諺を裏返しすると、「白猫であっても、黒猫であっても、ネズミを捕らないなら、良い猫とは言えない」となり、意味するところが一層明確だ。つまり農民共同経営・共同労働の集団農業生産方式は社会主義の目指すべき遠大な理想・理念に合致するが、現段階の中国において、解決すべき重要な課題は国民の基本食糧の確保・飢餓問題の解消である。そのためには、まずは立ち遅れた農業生産を振興し、低い生産力を向上発展させる必要がある。ところが、人民公社式農業生産システムでは、肝心の国民の基本食糧の確保・飢餓問題の解消に対して有効性を発揮できていないし、弊害も多い。つまり、「人民公社」という「猫」は、「ネズミの捕捉」に失敗して、農業生産力の向上という期待された結果を出せていない。したがって、それは現段階において「良い方式とはいえない」、と解釈できる。

聖者・賢者・智者・国民的英雄による天下の統治
こうして、中国の国情の現実を無視して先走り過ぎた急進路線の産物である人民公社は、1982年に大きな混乱もなく正式に解体されたが、それは75年頃から鄧小平の指導する見事な経済改革によってなし崩し的に骨抜きされた結果であり、静かなる安楽死といえるものであった。人民公社の誕生から約20年間に及ぶ試行錯誤、内乱、国力消耗、民生疲弊から立ち直った中国は、それから今日まで約40年、農業・工業・国防・科学技術の「四つの現代化」を目指して、独自の高速発展ルートをひた走り、驚異的な経済成長と総合国力の発展を成し遂げてきました。

思うに、多民族からなる人口10数億の国民を束ねられるだけの強大な政治力と巧みな統治能力無くして、こうした世界史的な奇跡を生み出すことはおそらく不可能でしょう。中国的特色を帯びたこの奇跡を生んだ政治力や国家統治能力の源泉や背景は一体何かと考えるとき、中国数千年の歴史・政治・文化に脈々と引き継がれてきたある伝統の存在を見逃すことはできない。それはつまり、古代伝説の才徳兼備の優秀リーダー「堯・舜・禹」、並びに「孔子・孟子・老子」に代表される聖賢、周公・管仲・諸葛孔明・孫武に代表される国家管理や軍事の智者、そして各時代を駆け抜けた綺羅星の如き国民的英雄群像――彼らによって成し遂げられた天下統一と“国泰民安”を導いた大いなる叡智。“德政”“廉政”“仁政”“善政”を賛美し、“暴政”“弊政”“虐政”“苛政”を非難する政治風土。こうした数千年の伝統的政治理念と国家統治の要諦が、古代から現代まで途切れることなく豊かに流れる地下水脈のように、現代中国のリーダー層にもしっかりと引き継がれ、活かされているに違いない。

幸福になるのが人生の最大目的であり、国家社会の存在意義も「最大多数の最大幸福を実現するため」だ、という功利主義思想の色彩がこの諺からも強く感じ取れる。なお、この諺の出典については、「聊斎志異」説と「四川一帯の俚諺」説などがある。

( 2020年11月1日 鄭 青榮 )
【次回第85話に続く】