-中国語あれこれ
--鄭老師の漫談--
(8)中国語の動詞とその周辺----摩訶不思議な世界

 今回は硬い話題として、あえて中国語の文法・語法のユニークなポイントを一つ取り上げてみたい。語学として、中国語は日本語を母語とする人に取っ付きやすく、入り易いが、奥が深いと、よく言われる。馴染みの漢字や漢語に誘われて、出だしは順調だが、奥へ行くほど勝手が分かりにくく、道に迷いやすいのも確かです。日本語のように、文脈の大事な手掛かりとなる「てにをは」に相当するものが文中のどこにもなく、捉えどころがない、との嘆きの声が聞かれる。また、中国語の単語は文中の並べ順によって文法機能が決まるが、その分、語順を覚えるのが大変だ、との声もよく聞かれる。その一方で、他の言語と違い、ややこしい語尾変化や格変化がない分、中国語の学習は楽なほうだと楽観する人もいる。さて、読者の皆さんはどっちですか?

 しかし、苦心派も楽観派も見落としがちな点が一つある。じつは、中国語の中で、文の最も重要な成分である述語動詞が、とても複雑多岐で厄介な「活用」というか、「応用展開」を見せる。これは単なる語順問題だとは片付けられないものです。中国語の述語動詞に絡む成分として、目的語(宾语 bin yu)、補語(补语 bu yu)、連用修飾語(状zhuang yu)が存在するが、一つ一つの動詞はそれぞれ、それらの成分とさまざまな結合を行ない、いろんな意味を表現する。特に補語、並びに目的語との結合関係が多種多彩です。

 例えば、中国語の述語動詞“病 bing”と日本語「病む」を比べてみましょう。「病む」は「病気に犯される」との意味では「肺を病む」と表現し、また「心配する」との意味では「気に病む」と言う。一方、“病 bing”は“屋子里病着一个人”=(直訳→部屋の中はひとりの人が病気を罹っている状態だ=存現文:ふと見ると、部屋の中にはひとりの病人がいる。)/“他今年两次”=(彼は今年、二度患った:“两次”は動量補語)/“他已病了很久了”=(彼はすでに長いこと患ってきた:“很久”は時量補語)/“他病得很。”=(彼の病状はとても深刻だ:“很重”は程度補語)/“她病成那个持工作。”=(彼女はあんなに患っているけれど、なおもあくまで仕事を続けている:“成”は結果補語)/“再病下去,非住院不可。”=(これ以上、病み続けると、入院は必至だ:“下去”はもともと方向補語だが、すでに進行している動作・状態をそのまま継続してゆくという派生的意味を持つ)と、さまざまなタイプの補語が動詞に寄り添って活躍し、応用展開されている。

 次に“唱 chang”と「歌う」をみると、日本語の「歌う」は「歌を歌う」「小鳥が歌う」「愛の美しさを歌う(謳う)」などと表現するが、“唱”のほうは、次のように、多彩な「活用」変化を見せる。“唱完歌”=(歌を歌い終える:“完”は結果補語)/“唱卡拉OK”=(カラオケで歌う:“卡拉OK”は動作“唱”の方式を示す目的語)/“唱了一个上午”=(午前中ずっと歌い続けた:“一个上午”は時量補語)/“了嗓子”=(歌い過ぎて、のどがかれてしまった:”は結果補語)/“唱走了”=(歌っているうちに調子外れになってしまった:“走”は結果補語)/“儿太高了,我唱不上去。”=(曲のキーが高すぎて、私は高音が歌い出せない:“不上去”は不可能補語)/“他唱出感情来了”=(彼は情感豊かに歌い上げた:“出〜来”は方向補語、この例文では、歌による感情表現を「実現する」、「完成する」という意味)。

 以上の例からお分かりのように、ある程度は文法知識を例文と一緒にコツコツと覚えて蓄積してゆかないと、日常用語の中の中国語らしい表現、味な言い回しを身に付けるのが困難になります。中級レベルまで進んできたのに、そこで足踏みしたり、なかなか壁を破れなくて悩んだりする学習者が少なくないが、ぜひ述語動詞に寄り添う各種の補語の意味用法をしっかり学んでほしい。

 また通常、中国語の動詞は英語などと同様、後に目的語を取るが、動詞の種類とその機能・用法はさまざまであり、【動詞+目的語】の意味関係も、目的語の違いによって複雑多岐に渉り、日本語から見て奇怪な感じのものも多い。例えば、“洗温泉=温泉に入浴する”、“唱卡拉OK=直訳→カラオケ方式で歌う”“熬夜=夜に睡眠時間を削って、寝ずに仕事や学習をする。徹夜する”、“吃食堂=食堂で食事する”などはそのうちのごく一部に過ぎない。これらの言い回しが理解困難に感じるのは、日本語文法にはない現象だからでしょう。でも、そこがまた中国語の面白いところでもあります。(次回に続く)